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「質」の対話


私達はこう考えてはいない。「都市は問題であって、建築はその解答である」とは。

この「都市=問題」、「建築=解答」という図式は、私達が受けた建築教育の最も一般的な内容であり、モダニズム建築の一つの本質でもある。
1: 都市をどのような問題として起てるか。
2: その問題をどのように建築として解くか。
この二本立ての技能の習熟が教育の場では訓練される。問と解答、このワンセットの論理的な合理性~つまりコンセプト~が評価の対象である。アカデミックな 教育の範囲であればそれは良い。質量を持つことのない紙の上の建築は純然とした抽象性を保って、「都市=問題」に対する「建築=解答」でいられるだろう。

しかし、実際の建築の場合では事情が異なる。純粋な「解答」としてデザインされた建築だとしても、それがハードな建築物として「質量」を持ち始めた途端 に、悲しくも建築は「都市=問題」へと還元されてしまうからである。できてしまえば建築も都市(=問題)の一部になる。この当たり前の事実に気付かずに、 大真面目に「問題→解答」型の建築が社会正義の実現として都市に姿を現し、その結果悲惨な 負の都市ストックへと変化してしまった例を、私達はいくつも目にしてきている。

都市の状況を論理的な問題へと抽象化し、それにまた論理としての建築で解答を与える。このようにコンセプトレベルで完結した事柄を、再度「建築物」として 具体の世界に持ち込むことは冗長であるし、美しくない。このときの実在の建築は余分な廃棄物である。私達はこのモダニズムの限界を、実際の経験によって自覚している最初の世代なのかもしれない。

よって、私達は可能な限り誠実に「コンセプトで建築を扱うこと」を丁寧に避けようとしている。もともと都市にある「質」、そしてこれから建築として新しく 生れようとしている「質」。これらの具体的な関係を、具体性を保ったままに、そのまま操作しようとしているのである。既存の都市と新たに計画される建築は 「問」とその「解答」という一方向の関係ではなく、新旧の「質」の対等な「対話」として私達は意識している。

だから、私達が都市を、建築を見る目は小学生のそれに近い。「あったらいい」ことを「やるだけ」である。

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